― 宮城県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
これは、ずうっと昔、キリシタンを厳(きび)しく取り締(し)まった頃の話だ。
陸前(りくぜん)の国、今の宮城県(みやぎけん)の鹿島(かしま)という町に隠(かく)れキリシタンの藤田丹後(ふじたたんご)という武士(ぶし)がおったと。
あるとき、キリシタンであることが殿(との)さまに知れて、藤田丹後は、お寺に身を隠したと。
殿さまは、藤田丹後の親類(しんるい)の茂庭(しげにわ)という家来(けらい)に、丹後を捕(とら)えるように命じたと。
茂庭は殿さまの命令(めいれい)とあれば仕方がない。捕(と)り方を大勢ひきつれて、お寺を取り囲んだと。
自分を捕えにきたのが茂庭だと知った丹後は、笑って、
「おれはいくらでも逃げられるがな、それではおれと親類の茂庭が気の毒(どく)だから捕まってやるさ。だが、おれが捕まえられればキリシタン、バテレンの妖術(ようじゅつ)ば見せることも出来なくなるから、ひとつ参考までに見せてやろう」
こういうと、中庭に下りて何やら呪文(じゅもん)を唱(とな)え始めた。そして、印(いん)を結んだとたんに、前の方の海から海水がどっと押(お)し寄(よ)せてきたと。
茂庭をはじめ捕り方たちは、あわてて後ろの方へ逃げ散(ち)ったと。
丹後は笑って、
「今度は釣(つ)りでもしようか」
というと、一竿(いっかん)の釣り竿(ざお)を手にし、糸を海水の中へ投げ込んだ。するとたちまち、釣り糸の先には大きな魚が掛かったと。
「なんの魚だべ」
と、捕り方のひとりが見ると、赤鯛(あかだい)であったと。
「また釣ってみせようか」
というて、釣り糸を垂(た)れたら、今度は見事な鮪(まぐろ)が掛かったと。そうやって、あれよあれよという間に小山になるほど魚を釣ってみせたと。
「もうこれでよかろう」
というて、藤田丹後が釣り竿を収(おさ)めたら、たちまち海の水が引いて、中庭の土が見えてきたと。
後退(あとじさ)った捕り方たちが庭に下りて来て、しきりと不思議がっておったが、そのうち捕り方のひとりが、帯をさわりながら、
「刀(かたな)が無い」
と叫(さけ)んだ。すると、あちこちで、
「おれの棒(ぼう)が無い」
「さすまたが無い」
などと驚きあわてふためいたと。
捕り方たちの持っていた武器(ぶき)は、ひとつ残(のこ)らず消えていたと。
すると、藤田丹後は、カラカラと笑って、
「心配することはないさ、ここにあるではないか」
と魚の山を指(さ)してやった。なんと、魚の山と見えたのは、みんなの武器の山であったと。
「どうだ、おれのキリシタン、バテレンの妖術は。だからおれは、逃げようと思えばいつでも逃げられる、といったろうが」
親類の茂庭をはじめ、捕り方たちは、あぜんとしているばかりだと。
やがて、藤田丹後は寺の和尚に挨拶(あいさつ)をしてから、綱(つな)のかかった籠(かご)に自分から乗ったと。
その前後左右を捕り方たちがとり囲(かこ)んで運(はこ)んで行ったと。
しばらくすると、後ろから、
「おい、おい」
と呼(よ)ぶ声がする。捕り方たちが振(ふ)り返ってみると、厳重(げんじゅう)にくくられた籠に乗っているはずの丹後が、あとを追って来ておった。
「なに、寺に忘れ物をしたので、ちょいと取りに行って来た。あとは何も無いから、籠の中で眠(ねむ)らせてもらうさ」
と、ぬけぬけというと、捕り方たちは、
「いつの間にいなくなったんだべ」
というて、首を傾(かし)げるばかりだと。
藤田丹後は、やがて刑場(けいじょう)で殺(ころ)されたが、そのとき丹後のからだは、すうっと煙(けむり)のように消えて、あとはどうなったか、誰にも分からなかったそうな。
どんびん。
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むかし、あるところに、三人の息子を持った分限者がおったと。あるとき、分限者は三人の息子を呼んで、それぞれに百両の金を持たせ、「お前たちは、これを元手にどんな商いでもええがらして来い。一年経ったらば戻って、三つある倉の内をいっぱいにしてみせろ。一番いいものをどっさり詰めた者に、この家の家督をゆずる」
盆の十五日に送られたご先祖(せんぞ)さまは、道々自分の子孫(しそん)たちの接待降りやごちそうの話をしたり、また、土産物(みやげもの)など出して見せあったりするのだそうな。
「藤田丹後」のみんなの声
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