― 宮城県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、あるところに親孝行の息子が年老いた父親と暮らしておったそうな。
働き者の息子だったから、村の人がいい嫁を世話してくれたと。息子と嫁は、
「お父っつぁんはもう年だから、家でのんびりしてりゃええ」
いうて、二人して、朝は朝星の出ているうちに家を出て山の畑へ行き、夜は月星をながめながら帰るほど働いたと。父親は、
「わしゃあ、いい息子と嫁を持った」
いうて、すっかり安心したと。気がゆるんだら急にふけこんで死んでしもうたと。
息子は悲しんで悲しんで仕事が手につかんようになった。
そしたら、嫁を世話してくれた人が来て、
「今度、村の衆(しゅう)とお伊勢参りに行くことになった。お前も家ん中でクヨクヨしているよりは、一緒に行って気晴らしをしたらよかべ」
という。嫁も、
「あんたぁ、行っといでよ。お父っつぁんの功徳になるよ」
いうので、
「そだな」 って、村の衆と一緒にお伊勢参りに出かけたと。
お伊勢さまにお参りして町を見物していたら鏡屋(かがみや)があった。息子は鏡を知らんのだと。珍しい物があると思うてのぞいたら、映った自分の姿が死んだ父親にそっくりだった。
「ありゃあ、うちのお父っつぁんは、こんげなところにおられたか」
いうて、驚くやら喜ぶやら。
「番頭さん、この親父(おやじ)なんぼだ」
「へぇ?!何のことでしょう」
「これ、この親父だ」
「へえ、ですがあのう、これは親父ではなくて、鏡ですが」
「何いうとる。息子の俺が言うのだから間違げぇねえ。これは親父だ。家に連れて帰るから、ぜひ売ってくれ」
番頭さん、目を点にしておったと。
旅から帰った息子は、鏡を長びつに入れて、朝晩のぞいては、
「お父っつぁんは今日もご機嫌だ。ニコニコしとる」
いうて喜んでいるんだと。
嫁はどうも不思議でならない。ある日、息子が畑へ出掛けてから、長びつを開けて中をのぞいたと。そしたら何と、中にはきれいな女ごがおって、「見つかった」いうような顔をしておった。
さあ、嫁は腹が立って腹が立ってならん。
昼飯どきに畑から戻った息子をつかまえて、怒ること、怒ること。
「あんた! お父っつぁんの功徳に行ったと思っていたら、何さあれは。お伊勢さまからいい女ごを連れて来て。ああくやしい!」
「お前、何言うてるや。俺はお父っつぁんを買うて来ただぞ。女ごなんぞ隠しておらん。もいちどよおっく見てみろ」
「ほんとうに? …そだな、毎日長びつに入ったままの女ごもなかべな」
いうて、もう一度長びつの中を見たら、今度は夜叉のようなおっかない顔をした女がいた。嫁はあわてて、ふたをパタンと閉じたと。
「いたあ、あんたあ、やっぱり女だよう」
「そんなはずはねえんだがなあ」
いうて、息子がのぞいてみたら、親父がとまどった顔をしておった。
「お前、何見とる。やっぱりお父っつぁんだ」
「違う」「そうだ」
と言い争いをしているところへ、お寺の尼さんが家の前を通りかかった。
「仲のよい二人が喧嘩とは、いったいどうしましたか」
「聞いて下されアンジュさま、実は…」
と嫁が話すと、
「それじゃあ、私が見てみましょう」
いうて、尼さんがのぞいたと。そしたら鏡には尼さんが映っとった。
「もう喧嘩はやめなさい。この中の年増女は髪を落として尼になったから」
こういうたと。
えんつこ もんつこ さげぇた。
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とんと昔、あるところに何代も続いた大きな家があった。 土佐では、古い家ほど火を大切にして、囲炉裏(いろり)には太い薪(たきぎ)をいれて火種が残るようにしよったから、家によっては何十年も火が続いておる家もあったそうな。
むかしむかし、ヒバリとウズラとヨシキリは、仲良く一緒に暮らしていたそうな。ある日、ウズラに用ができて町へ出掛けることになったと。ウズラは履き物が無かったので、ヒバリの草履を借りようと思った。
「尼裁判」のみんなの声
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