― 京都府宮津市 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
丹後(たんご)の国(くに)は宮津地方(みやづちほう)、今の京都府の日本海に面した宮津湾(みやづわん)に「天(あま)の橋立(はしだて)」というのがありますわなあ。
神様が日本という国を創(つく)ったとき、天と地とを結ぶはしご段をかけた。が、あるときそのはしご段が崩(くず)れ落ちた。「天の橋立」というのは、そのとき海辺(うみべ)りに落ちたはしご段のかけらだと伝えられ、だから、股(また)の間(あいだ)からさかさまにのぞくと天へかかっているように見えるといって、日本三景(にほんさんけい)のひとつにも数えられている、あれです。
その天の橋立の外側(そとがわ)の海を与謝(よさ)の海(うみ)、内側の海を阿蘇(あそ)の海と呼んで区別しておりますが、昔から阿蘇の海で獲(と)れるイワシに限って、金樽鰮(きんたるいわし)というております。
これには面白いいわれがありまして、その話しをしましょうかのう。
むかし、丹後の国に藤原保昌(ふじわらやすまさ)という殿さまがおりましたそうですわい。
この殿さまは京都に長い間住んでおられたお方で、風流好みの殿さまだったという。
ある夜のこと、殿さまは阿蘇の海に舟を浮べて月見酒(つきみざけ)をしていたと。
「きれいな月じゃあ、京で見る月もなかなかじゃが、この海から眺(なが)める月はまた格別(かくべつ)じゃ」
いうて、上機嫌(じょうきげん)だと。呑(の)むほどに、酔(よ)うほどに調子があがって、お供の者たちと謡(うた)いながら、「いよ― ポン。ポン ポポポン ポン」と、酒の入った金造(きんづく)りの樽(たる)を、鼓(つづみ)の代わりにして叩いておった。
すると、金樽(きんたる)を叩く殿さまの舟の周囲(まわり)にイワシの大群が押し寄せて来たそうな。
殿さまが金樽を叩くとイワシまでが飛(と)び跳(は)ねて踊る。大喜びした殿さまは、一層(いっそう)ポンポコポンポコ金樽を叩いたと。舟辺りから身を乗り出すようにしてイワシをけしかけていたら、飛び跳ねたイワシが殿さまの顔に当った。そのはずみで、金樽を海に落としてしもうた。すると、今までいたイワシの大群は急に姿を消したと。
次の日、漁師たちは殿さまの大切な金の樽を拾い上げようと網を引いた。
金樽は見つからんかったが、かわりに何千何万匹ものイワシがかかった。
漁師たちは大漁に大喜び。浜じゅう水揚げで賑(にぎ)わったと。
イワシは殿さまにも届けられた。殿さまは
「おお、なんとうまいイワシじゃ。浜が賑わうのなら金樽はそのまま海に抱かせておくがよい」
こういわれたと。
それからじゃぁいいますなぁ、阿蘇の海で獲れるイワシを他(ほか)と区別して金樽鰮と呼ぶようになったのは。
今でも、阿蘇の海のどこかに、殿さまの金造りの樽が沈んであるはずじゃ、いうております。
むかしのはなしの種くさり。
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「金樽鰮」のみんなの声
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