うずらで検索していたら、たまたま御社の「鶉と狸」のお話のページを表示、聞いてみましたがとても面白い内容でした。 ぜひ、今後とも面白い民話を公開いただけると嬉しいです!
― 熊本県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
昔、あったと。鶉(うずら)と狸(たぬき)があったと。
あるとき、鶉と狸が道で出合ったと。鶉が、
「狸どん、狸どん。今日はお前に殿(との)さまの行列を見せてやろうと思うが、どうだ、井ぐいに化けないか」
と、狸にもちかけた。狸は、
「よかろう」
といって、井ぐいに化けて、道端(みちばた)でじいっとしていた。鶉は、井ぐいに化けた狸の頭におすましをして止まっていた。
そこへ、雲助(くもすけ)が六尺棒(ろくしゃくぼう)を担(かつ)いでやってきた。鶉は、雲助がすぐ目の前を通り過(す)ぎても逃(に)げないで、井ぐいに止まって、つんとおすましをしている。雲助は、
「この横着(おうちゃく)な鶉め」
というて、手に持っていた六尺棒をふり上げ、打ちおろした。
その瞬間(しゅんかん)に鶉は、ひょい、と飛んで逃げた。六尺棒は、井ぐいをしたたかに打ったと。雲助は鶉が逃げたので、笑って行ってしまったと。
雲助の姿が見えなくなって、狸は化けを解(と)いて元の姿になった。頭には、見る見るうちに、でっかなタンコブがふくらんできたと。
「イテ、イテッ、痛(い)てえよう」
というて、思わず涙(なみだ)が出たと。そこへ、鶉が舞(ま)い戻(もど)ってきて、
「いやあ、すまん、すまん。雲助が、まさかおいらを打つとは思わなかったもんで。いやぁ、それにしても見事なタンコブだなぁ」
というて、狸の頭のタンコブを、嘴(くちばし)でチョンとつっ突(つ)いた。狸は、
「イテェー、何をするや、コノー」
というて、頭をかかえこんだと。鶉は、
「いやぁ、今にも破裂(はれつ)しそうだなや」
といいながら、狸の頭の周囲(まわり)を飛びかい、次に何いたずらしようかと思案(しあん)したと。
狸は鶉のその様子を見て、やっと鶉の謀(はか)り事(ごと)だったことに気がついた。
殿さまの行列を見せるというのも、井ぐいに化けさせたのも、ぶたれる間ぎわまで俺(おれ)の頭の上にいたのも、みんな、みんな、あの雲助に俺を叩(たた)かせる計略(けいりゃく)だったんだ。
こう気がついた狸は、頭の周囲を飛びまわっている鶉を、ふいにひとかみして、ひっ喰(くわ)えた。
鶉は、くわえられて身動きも出来ない。
「狸どん、狸どん、何をする。別においらが叩いたわけでもないのに。イテ、イテッ、イテェなぁ。そんなに強く噛(か)むなよー」
狸は、もうひとかみ強く噛んでやったと。
そしたら鶉は、
「おいらにはおっ母さんがいる。そんなに強く噛まれていては、痛てくって、大声を出しておっ母さんに最後のいとまごいをすることも出来ない。どうかおっ母さんを、ここへ呼(よ)んでくれないか」
と頼(たの)んだ。狸は、
「それじゃ、一回だけだぞ」
というて、大声で鶉のおっ母さんを呼んだと。
そのとき、狸の口が開いたので、鶉は飛び出した。狸は、また、だまされたので、怒(おこ)って、跳(と)びついた。鶉の尻尾(しっぽ)を喰(くわ)えたと。
鶉も今度こそ逃げないと命が危(あぶ)ない。必死に羽をバタバタしてもがいたら、尻尾が抜けてしまった。
それだから、鶉は今もって尻尾がないのだと。
そりばっかりの ばくりゅうどん。
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むかし。相模湾の三ツ石の沖にサメの夫婦が住んでおったと。夫婦は、ここへ漁師の舟が来ると追い返しては、子ザメを守っておったと。「三ツ石へ行くでねぇ。主のサメにおそわれるぞ」と、漁師たちは、この沖を地獄のように恐れて近寄らなかったと。
むかし、百姓(ひゃくしょう)は、ただ下積(したづ)みになって暮らして来たわけだナス。 干魃(かんばつ)で苦しみ、冷害(れいがい)で泣がされ、年貢米(ねんぐまい)の割り当てでは役人にしぼり取られでス。
むかし、越後の国、今の新潟県に源右ヱ門という侍がおったそうな。度胸はあるし、情けもあるしで、まことの豪傑といわれたお人であったと。あるときのこと、幽霊が墓場に出るという噂が源右ヱ門に聞こえた。
「鶉と狸」のみんなの声
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