いいと思います ( 10代 / 男性 )
― 高知県 ―
語り 平辻 朝子
再話 黒川 留義
整理・加筆 六渡 邦昭
むかし、土佐の吾川郡吾川村(あがわぐんあがわむら)北川※1に助八というマタギ稼業(かぎょう)の好きな爺(じい)さんがおった。
ある日、鉄砲を担(かつ)いで山に入り、石に腰かけて梅の実でこしらえた雉笛(きじぶえ)をキョリキョリ吹いておると、雉(きじ)がケンケンと啼(な)いた。
※1 吾川郡吾川村北川 …現在の吾川郡仁淀川町北川
見回すと、向こうの倒れた木の上に、真っ赤なホウカムリをした雉がいたので、狙(ね)いすまして、ズドンと一発、鉄砲(てっぽう)を撃(う)った。
挿絵:福本隆男
確かな手ごたえがあって、急いで行ってみると、雉がいない。かわりに血が落ちてある。その血の跡(あと)をつけて行くと、大きな岩屋(いわや)があった。血は岩屋の中に続いている。岩屋の中に入って行くと、薄暗い奥の方に柴天狗(しばてんぐ)が居(お)って、
「助八爺(すけはちじい)、わしが雉に化けていたのだ。見事に撃(う)たれたわい。油断したわしが愚(おろ)かじゃった。おまけに、血の跡をつけられて、この姿をみられたのは、まことに恥(は)ずかしい限りだ。
助八爺、どうじゃろうな。殺生(せっしょう)はよくないから止めてくれんか。
そうすりゃあ、空を気ままに飛べる羽をつけてやろう」
というた。
助八爺さんも、己(おのれ)が撃った鉄砲玉で傷(きず)ついた柴天狗を見ているうちに、マタギ稼業に嫌気(いやけ)がさして、頷(うなず)いたと。
柴天狗は助八爺さんの脇の下へ、小さい羽をつけてくれ、
「昼は飛ばれん。夜ばぁぜよ」
というた。
助八爺さんは嬉(うれ)しくて嬉しくて、それからというもの毎晩、夜空へと気ままに舞(ま)い上がっては、
「あのあたりが越知(おち)※2、佐川(さがわ)※3じゃろう。おう室戸岬(むろとみさき)も黒々と見える」
などと、喜んでおった。
※2 越知 … 現在の高岡郡越知町
※3 佐川 … 現在の佐川町
挿絵:福本隆男
飛び方が身についてきたら、遠くへ行きたくなったと。空の高みから見渡(みわた)すと、ずっと向こうの下に薄明(うすあ)かりの町が見えた。あそこは高知かもしれんと行ってみると、やっぱり高知の町で、マカラズ屋の店もある。
酒好きの助八爺さん、居酒屋(いざかや)で一杯やり、いい気持ちで飛んで帰り、眠ったそうな。
それからは、毎晩毎晩、高知へ寝酒(ねざけ)を呑みに通うたげな。
いつの間にか、そのことが近郷近在に知れわたり、大評判(だいひょうばん)になった。
助八爺さんは大層(たいそう)長生きしたそうなが、天寿(てんじゅ)がつきたとき、身体をあらためてみたら、両脇(りょうわき)の下に蝉(せみ)の羽みたいのがあるので、広げてみたと。そしたらなんと、八畳座敷(はちじょうざしき)が埋(う)まるほどだったと。
むかしまっこうさるまっこう
さるのつべは ぎんがりこ。
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むかし、加藤清正(かとうきよまさ)が戦で朝鮮(ちょうせん)に行ったときのこと。 陸上では負けしらずの戦いぶりであったが、海上では日本の水軍が負けた。海上封鎖(かいじょうふうさ)されたので、日本からの補給(ほきゅう)がなくなったと。
「柴天狗に貰った羽」のみんなの声
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