― 高知県 ―
語り 井上 瑤
再話 市原 麟一郎
むかし、ある所にうんと念仏(ねんぶつ)が好(す)きなお婆(ばあ)さんがおったそうな。
この念仏婆さんも、寄(よ)る年波(としなみ)には勝(か)てずに、とうとう死んでしもうたと。
ところで婆さんは、あの世へ行く時に、日頃(ひごろ)の念仏を大風呂敷(おおふろしき)に山のように包(つつ)んで出かけたそうな。
そうして、地獄(じごく)、極楽(ごくらく)の別(わか)れ道にあるエンマ庁(ちょう)へさしかかった。そのときここにかかっておるジョウハリの鏡(かがみ)に生前(せいぜん)の行(おこな)いが全部うつるそうな。
その亡者(もうじゃ)の善悪(ぜんあく)の行いを見て、エンマ大王(だいおう)が、これは地獄行き、これは極楽行き、というふうに裁(さば)いてふり分けるのだと。
お婆さんは、日頃の念仏を山のように包んだ大風呂敷をそこへおろして、
「エンマ大王さま、私はこのとおりでございますきに、どうぞ極楽へやってつかさいませ」
と、自慢(じまん)げにこう言うたそうな。
ところが、エンマ大王はそれをジーッと見よって、
「これなる婆ぁは地獄ゆきじゃ。そこにおる鬼(おに)ども、これなる者を地獄へつれていけ」
と、こう言いつけたので、婆さんはびっくりした。
「私はこれほど念仏を唱(とな)えてきておるのに、そんな私がなんで地獄へ行かにゃあなりませんか」
と、不服(ふふく)たらしゅうにこう言うと、エンマ大王は、
「ほんなら、わかるように試(ため)しちゃろ。おい、そこな鬼、大ウチワを持って来い」
こう言うて、鬼に大きなウチワを持って来させたと。
そうして、その大ウチワで婆さんが持って来た大風呂敷をあおると、その念仏はどこともなく舞(ま)いあがって消(き)えてしもうた。
あとには、たった一枚(いちまい)だけ風呂敷の底(そこ)へ残(のこ)った念仏があった。エンマ大王はそれを指(さ)して、
「婆、よう見てみよ。お前が心から唱(とな)えた念仏は、息の引きとりぎわがたったの一ぺんじゃった。あとの念仏はただの上(うわ)の空(そら)で唱えたよったき、見よ、みんなぁ泡(あわ)のように消えてしもうたんじゃ」
と、こう言うたそうな。
ほんで人は、日頃の行いが大事(だいじ)じゃということじゃ。
昔まっこう猿(さる)まっこう、虻(あぶ)の小便(しょうべん)でプッと消えた。
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昔、盛岡の木伏に美しい娘があったと。毎日家の前の北上川へ出て、勢よく伸びた柳の木の下で洗濯物をしていた。あるとき、その娘がいつものとうり洗濯に出たまま行方がわからなくなったと。
「念仏婆さん」のみんなの声
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