― 新潟県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、越後の国、今の新潟県の、ちょうど信濃川が海にそそぐあたりの町に大きな屋敷をかまえた長者があったと。ひろびろとした田んぼとたくさんの舟を持ち、なにひとつ思いどおりにならないものはないと言われるほどの大長者(おおちょうじゃ)であったと。
ある年の十一月十五日のこと。
長者が屋敷の最上階にある高見処(たかみどころ)から外を見渡すと、一そうの舟も海へ出ていなかった。川を見ると、これまた川へ網をうつ舟も出ていない。番頭へ
「いったいどういうわけで、今日は仕事を休んでいるのだ」
と、聞くと、番頭は、
「へえ、今日は鮭の大介・小介が信濃川へのぼって来る日ですけ、休みでがんす」
と、答えた。
その頃は、大介・小介という夫婦の鮭があって、毎年十一月十五日には、
「大介・小介、いまのぼる」
と呼ばわりながら、鮭の群れをひきいて信濃川をのぼってくるといわれていた。
この大介・小介は、三メ-トルほどの大きさで、それが銀のうろこをきらめかせながら泳ぐさまは、例えようもないほどうつくしい景色であったと。
人々は大介・小介を鮭の王様とあがめ、おそれて、どんな漁師もこの日には、決して網をおろさなかったと。それどころか、信濃川沿いの場所によっては、「大介・小介、いまのぼる」の声を聞けば、戸をたてて家の中にこもり、外に出ようともしない所があったくらいだと。
長者は番頭の答えを聞いて、カチンときた。
「なんじゃい。鮭の大介・小介というが、たかが魚の夫婦じゃ。そのために一日仕事を休むとはけしからん。しかもわしが休んでええとも言わんのに勝手に休みよって。ようし、いまにみとれ」
といって、目を三角にして川をにらみつけたと。
次の年、十一月に入ると長者は、漁師たちを集めて、
「こんどの十五日は休まんぞ。信濃川に網おろして、大介・小介をつかまえるんじゃ」
と、いうた。
さあ、たまげたのは漁師たちで、
「そればっかりはこらえてくれ」
「どんなたたりがあるか、知れん」
と、口々に訴(うった)えたが、長者は聞くもんでない。
漁師たちは、しぶしぶ漁に出ることになったと。
いよいよ十五日になった。
長者は、川での漁が 見渡せる場所へ桟敷(さじき)を組ませ、非毛氈(ひもうせん)を敷きつめて、どっかとあぐらをかいた。酒を呑み呑み、鮭の大介・小介が網にかかるのを眺めるこんたんだと。
川には舟がいっぱい浮んでいる。
「さあ、網をうてい」
長者のあいずで、ザンブと網がおろされた。
しかし、どうしたことか、ただの一匹も網にかかっていなかった。
「そんなばかなことがあるか。いまいちどうつんじゃ。網をうてい」
漁師たちが何度やっても、網には鮭どころか雑魚さえも一匹もかからなかったと。
胆のすわった漁師たちも、さすがに無気味になって、舟を引きあげ、
「これで勘弁してけろ」
というて、逃げるように帰ってしまった。
見物人たちも、
「なんぼ長者さまでも、どもならんな」
「たたりのこんうちに、早よ家に帰るべ」
というて、散ってしまったと。
ただひとり残された長者は。ぐいぐい酒を呑んで川をにらんでおった。いつの間にか真夜中だったと。
ふと気がつくと長者の前に、ひとりの老婆が立っておった。その髪の毛は銀色に輝いていたと。
長者はどうしたことか、動くことも息することも出来なかったと。老婆は、押し出すような声で、
「長者、今日は、御苦労であった」
というと、川へゆっくりと歩いて行き水の中へ入ったと。すると間もなく、
「鮭の大介・小介、いまのぼる」
という声がひびいた。
長者は、それを聞いて死んだと。
鮭の大介・小介を先頭に、何千何万ともしれぬ鮭の群れが川をうずめてさかのぼって行ったと。
いきがぽ-んとさけた。
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享保(きょうほ)三年というから、一七一七年、今から二六六年も前のこと、江戸、つまり、東京でおこったことだ。本所の南蔵院(なんぞういん)という寺の境内(けいだい)に、石の地蔵様があった。
「鮭の大介・小介」のみんなの声
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