― 鹿児島県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかしむかし、あるところにおっ母(か)さんと息子とが居てあったと。息子は山で薪(たきぎ)を伐(き)っては町方へ売りに行き、親子二人その日その日を暮していたと。
ある日、息子が山で昼弁当を枝に掛(か)けて木を伐っていたら、どこからともなく白いヒゲを生やした年寄りが現われて、その弁当を食いはじめた。息子は、その年寄りがあまりにもうまそうに食うているので、
「いいよ、みな食うても」
というたら、年寄りは、
「ほうか、ほうか」
と喜んで、みな食うてしまったと。
「うまかった。わしゃこの山のな、上からいつもお前が弁当を食うのをながめとって、あまりにうまそうに食うているので、一ぺんわしも食うてみたかったんじゃ」
「山の上」
「ほうじゃ。わしゃ上に住んじょる。ところでじゃ、弁当の礼というわけでもないがの、お前に福を授けてやろう。明日、この山の頂上(いただき)に来なさい。」
「山の頂上」
「ほうじゃ」
年寄りは、こういうて林の中へ歩いて行き、じきにその姿が消えてしもうたと。
息子は弁当が無くなったので、その日は早めに家に帰ったと。
次の日、息子は朝早うから山へ行ったと。
山の頂上に登るには下の峠(とうげ)と上の峠を越えて行く。下の峠には下の茶屋が、上の峠には上の茶屋が、それぞれあったと。
息子が下の茶屋に立ち寄ったら、主人(あるじ)が、
「どこまで行きなさるか」
と訊いた。息子が、
「頂上に住む年寄りが、福を授けてくれるというので行くところだ」
というと、主人が、
「そんならひとつ頼(たの)まれてくれんか。わしんとこの庭のこの木な、今年は蕾(つぼみ)も花も咲かん。どうしてか、その訳を尋(たず)ねてきてくれんか」
というた。
息子は頼まれ事をひとつ持って、また山を登って行ったと。行くが行くが行って、上の峠に着いた。上の茶屋に立ち寄ったら、座敷の方で泣き声やら叫び声やらがしていた。
息子が、
「もうし、ごめんくだされ」
と呼びかけたら、内から主人が出てきて、
「おさわがせして済みませんです。すぐに茶を持ってきます」
というた。
「お取り込みのようだが、どうしたのです」
「はい、実は、たったひとりの娘が大層な病でふせっておりまして、ときどきみまかりそうになるものですから、つい、泣くや、大声で叫ぶやら取り乱しておりました」
「そうでしたか。そうとは知らず立ち寄った。茶はいいから娘さんの側に居てやって下さい」
息子が茶をことわって立ち去ろうとすると、主人が、
「あ、いえ、こんな上の峠まで登って来たお人に茶も出さなければ、病気の娘に何をいわれるか。すぐに出します」
というて、茶を持って来た。
「お前(め)さんはどこへ行きなさるとこですか」
「俺は、頂上に住む年寄りが福を授けてくれるというので、行くところだ」
「頂上(うえ)の年寄りが福を・・・・・・。そうですか・・・・・・。なるほど、そんならひとつ頼まれてくれんですか。頂上のお方に、娘が大患(おおわずら)いしているのはどうしてか、その訳を尋ねてきてくれんですか」
息子は頼まれ事をもうひとつ持って、また山を登って行ったと。
行くが行くが行って、山の頂上に着いたと。
立派な構えの家敷(やしき)があったので、訪ねて行くと、昨日の年寄りが出てきて、
「ちいっと遅かったの。さぁ早よ上がれ」
というて、座敷へ招(しょう)じ入れたと。
そして、
「昨日の弁当うまかった。今日はわしが馳走(ちそう)しよう」
というて、納戸(なんど)から赤ん坊を引き出し、俎板(まないた)の上に乗せ、頭から爪先(つまさき)まで輪切りにした。その、胴(どう)のところを持ってきて、
「さあ、茶うけだ。うまいぞ」
という。
息子がびっくりして後じさったら、年寄りは、
「うん、遠慮(えんりょ)はいらん、くえ、くえ」
といいながら、赤ん坊の手足のところを、実にうまそうに食うのだと。
息子も恐る恐る食うてみたと。
そしたらなんと、この世のものとは思えん、えもいわれんおいしさだ。息子は、
「人の腹から生まれた赤ん坊なら、こんな味はせんはずじゃ」
と思うて、二切、三切と食べ、腹いっぱいに食べたと。
これは、天の泣子菓子(なっごかし)というものだったと。
年寄りが、その様子を見てニコニコしていたので、息子は頼まれ事を話した。
下の茶屋から頼まれた、木に蕾も花も咲かない訳を尋ねると、年寄りは、
「それは、その木の北の方に貧乏根(びんぼうね)が張っている。それを切ってしまいさえすれば、今日からでも蕾が出、花が咲く。」
と教えてくれた。
上の茶屋から頼まれた、娘が大患いしている訳を尋ねると、年寄りは、
「その家を建てるとき、北の柱の下に青蛙(あおがえる)を下敷(したじ)きにしてしまった。その青蛙は、今は紙のようにうすく押(お)しつぶされていて、息も絶え絶えになっている。青蛙の無念(むねん)の思いが娘にかかっている。青蛙さえ助けてやれば、娘の病はすぐに治る」
と教えてくれた。
年寄りは、それっきり黙りこくっている。福を授けてくれる話をするでもなく、食えともすすめない。息子はとまどいながら、
「あの、昨日福をやるというので登って来たが」
というた。すると、その年寄りは、
「うん、もう授けた。お前に授ける福はそれよりない」
というた。
年寄りがそれっきり黙りこくってしまったので、息子は礼を述(の)べて屋敷を出たと。出てから振り返って見たら、もうそこには屋敷が無く、年寄りも居なかったと。
息子は狐(きつね)につままれたような顔をしながら山を下(お)り、上の峠の茶屋に立ち寄った。年寄りに教わったとおりに、北の柱の下の青蛙の話をしたら、主人はすぐに北の柱を鋸(のこ)で切ったと。そしたら、青蛙が紙のようにうすくなっていた。主人が青蛙を両掌(りょうて)ですくってとりのぞき、水をかけたり、さすってやったりしたら、青蛙は少しずつふくらんできて、やがて足を動かし、手を動かした。
娘も青蛙と同じように手を動かし、足を動かし、頭を上げ、お粥(かゆ)を食べた。
青蛙が一跳(ひとと)び、二跳(ふたと)びすると、娘の病はすっかり快(よ)くなったと。
そしたら上の茶屋の主人が、
「そなたは娘の命の親だから、どうか娘の聟(むこ)になって下され」
というた。息子は、
「俺にはおっ母さんがある。おっ母さんに話してみんことには返事出来ん」
というたと。
息子はまた山を下り、下の峠の茶屋に立ち寄った。年寄りに教わったとおりに、北へ貧乏根が張っている話をしたら、主人はすぐに木の根っこの北の方を掘(ほ)った。
そしたら、ぶっとい貧乏根が張っていたと。ナタで貧乏根を断ち切ったら、すぐに蕾が出て花が咲き、実が成った。枝もたわわになった実は、全部黄金(こがね)の実であったと。
下の茶屋の主人が、
「そなたは、この木の命の親だから、どうか娘の聟になって下され」
というた。息子は、
「俺にはおっ母さんがある。おっ母さんに話してみんことには返事出来ん」
というたと。
息子が家に帰って、おっ母さんに話をしていたら、もう下の茶屋から迎えの駕籠(かご)が来た。上の茶屋からも迎えの駕籠が来た。
「そなたはぜひ聟になって下され」
「いやいや、ぜひ当方の聟になって下され」
「うんにゃ、我家の」
「いやいや、我家の」
と争いになったと。
そしたら、頂上の年寄りが現われて、
「上の十五日は上の峠の茶屋、下の十五日は下の峠の茶屋の聟になるのがよかろう」
というた。
上の峠の茶屋の主人も、下の峠の茶屋の主人も、すぐに承知したと。
息子は二軒の峠の茶屋を、月の十五日は上へ行き、月の十五日は下へ行って、おっ母さんともども一生安楽に暮らしたと。
そいぎいのむかしこっこ。
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