― 岩手県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
昔、ある渡場(わたしば)に乗り合いの船(ふね)があったと。お客を乗せて海を渡っていたら、急に船が動かなくなったと。いっくらこいでも、船は前にも進まない、後(うしろ)にも戻(もど)らない。
すると船頭(せんどう)は、お客一同に、
「これは、わに鮫(ざめ)がお客様方の誰かを見込(みこ)んだためだから、どうか、めいめいの持ち物を何かひとつ海へ投(な)げて下さい。そうすると、見込まれない人の物はそのまま流れるが、見込まれた人の物は、水の中に沈(しず)むから」
と言うた。
そこでみんなは、めいめい持ち物をひとつ取り出して海に投げ入れたと。
すると、ゲンナさんという医者坊主(いしゃぼうず)の投げた手拭(てぬぐい)だけが、引き込まれるように沈んだと。
ゲンナさんは、こうなっては仕方(しかた)がない。他の一同を救(すく)うためなら、と覚悟(かくご)して、薬箱(くすりばこ)を肩(かた)にかけて水の中へ飛び込んだ。
挿絵:福本隆男
わに鮫が大っきな口を開けてゲンナさんを一呑(ひとの)みにしたと。
わに鮫の暗い腹(はら)の中でゲンナさんは必死(ひっし)になって考(かんが)えた。やがて、薬箱の中から一番苦(にが)い薬を取り出して、それをわに鮫の腹の中一面(いちめん)になすりつけた。
わに鮫はゲンナさんを呑んで腹がふくれ、大いに満足(まんぞく)して泳(およ)いでいたら、急に腹具合(ぐあい)がおかしくなった。痛(いた)いし、ムカムカするし、あんまり苦(くる)しくて、とうとうゲロッて吐(は)いた。
ゲンナさんも一緒(いっしょ)に吐き出されて、渚(なぎさ)の砂(すな)の上まで飛ばされたと。
船の人達(ひとたち)はそれを見て、声かけあって船を岸(きし)にこぎ寄(よ)せたと。青い顔してひっくり返(かえ)っているゲンナさんを、手をさすり、足をさすり、顔をさすりしていたら、すっかり元気をとり戻(もど)した。
「やあ、よかった」
「よかった」
言うて、みんなして喜(よろこ)んだら、船頭が酒樽(さかだる)をひとつ、船から下(お)ろして、酒盛(さかも)りが始まった。
酒を呑みながら船頭が言うには、今までにいろいろな船が同じような目にあい、見込まれた者が海に飛び込んだり、嫌(いや)がるのを投げ入れられたりしたそうな。そうした者の内、誰一人(だれひとり)として生きてかえった者はなかったのだと。
「だから、格別(かくべつ)にめでたいこっちゃ。ゲンナさん、ここはひとつお前さん踊(おど)らにゃならん」
と言うと、ゲンナさんその気になって鉢巻(はちまき)をしながら立ち上がって、
〽 わに鮫に呑まァれて 吐き出さァれェ
運がいいやら 悪いやらァ
と歌って踊ったと。そしたら、海の中からわに鮫が顔を出して、
〽 おめのよな臭(くさ)ァ坊主
のんだことねえ
煮(に)ても焼(や)いても 呑まれねえ
と、ののしったと。
どんとはらい。
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むかし、むかし。美作の国(みまさかのくに)、今の岡山県(おかやまけん)の山ん中に、あまんじゃくという、いたずらな子鬼(こおに)が棲(す)んでおったと。
「わに鮫と医者坊主」のみんなの声
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