― 兵庫県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかしむかし、伯耆(ほうき)の国(くに)、今の鳥取県(とっとりけん)の御領内(ごりょうない)のある山の中に、一軒の家(いえ)があった。
山家(やまが)なので貧しくはあったが、父と母と小(こ)んまい娘とが睦(むつ)まじく暮らしておった。
ところが、母親は急の病(やまい)であっけなく死んでしもうたと。
父親は小んまい娘をかかえて、何にかににつけて困ることが多くなった。
同じ頃、麓(ふもと)の村にも、夫を亡くした女房がもっと小んまい娘をかかえて途方(とほう)に暮れていた。
おたがい困っちる者同士じゃ、ゆうて、仲立ちする人がいて、その女房と娘をこの山家に迎え入れたと。
ある日、お城の若様が家来を連れて狩に来て、この山家でひと休みされた。
継母は、実の娘の妹に一張羅(いっちょうら)の着物を着せて、若様にお茶を持って行かせ、継子の姉には汚れた仕事着のまま、家来衆にお茶を出させた。
若様と家来衆は「馳走(ちそう)になった」いうて、お城へ帰られたと。
それからしばらくして、お城からお遣いの立派な侍衆がこの山家に来て、
「姉娘を若殿様の奥方に迎えたい」
というた。
びっくりした継母は、すぐに実の娘の妹を着飾らして、
「これがお望みの姉娘です」
というて、出した。
見ると、母親に似て、器量(きりょう)も悪いし、意地悪そうな顔をしているから、すぐに嘘(うそ)を見抜いた。
「あ、いやいや、これは失礼つかまつった。あらためて妹娘の方を」
というたら、継母は、
「あれは、ぐずで気がきかずだ」
というて、むずかるふうだ。
遣いの侍は、「では、こうしよう」というて、かまどから塩瓶(しおがめ)を持って来て、お盆の上に皿を乗せ、皿の上に塩を盛り、その上に松の小枝を挿(さ)した。
「これを見て、歌を一首作ってもらう。その上でどちらの娘か決めよう」
継母はいやとは言えない。継子の姉も呼んだと。
遣いの侍が姉娘を見ると、器量もいいし、気立てもよさげだし、その上賢そうだ。一目見て、若殿様が見染めるのもむりがない、とうなったと。
「まずは、そなたから」
と、実の娘の妹にうながすと、妹は、しばらく考えて、
「盆の上に皿、皿の上に塩、塩の上に松」
というた。
「次は、そなた」
と、継子の姉をうながすと、姉は、
「盆皿(ぼんさら)や 皿(さら)盛(も)り山(やま)に雪ふりて 雪を根として そだつ松かな」
と、詠んだ。遣いの侍は、
「こちらを奥方にお迎えする」
というて、継子の姉を駕籠(かご)に乗せて、早や、立ち去りかけたと。
あてがはずれて怒った継母が、門口(かどぐち)に置いてあった箒(ほうき)を取って駕籠めがけて投げつけたら、駕籠の中から姉が、
「いつまでも 親というのはありがたや 伯耆(ほうき)の国まで みなもろた」
と、歌詠みしたと。
遣いの侍は「勝負あった」いうて、カラカラ笑うた。
継子の姉は、伯耆の国の若殿様の奥方になって、一生安楽に暮らしたと。
そうだといや。
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昔、あるところに無精者(ぶしょうもの)の男があったと。あるとき、男は用たしに町へ出かけたと。家を出しなに、女房(にょうぼう)は握(にぎ)り飯(めし)をこしらえて、無精な亭主(ていしゅ)の首にくくりつけてやったと。
「皿盛り山」のみんなの声
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