だいぶストーリーが抜けてますね、もう少し詳しく書いた方がいいと思いますよ。 身籠った事も抜けてますし、耶馬溪雲八幡神社、小国の鏡ケ池、下城の大銀杏、浮羽の弓立神社も抜けてます。 1100年続く御霊を慰める祭り、滝の市…… も抜けてます。 何より正高公の父親が小倉百人一首の歌人清原元輔であったこと、妹が清少納言であったこともです。 残念( 50代 / 男性 )
― 大分県玖珠郡 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
昔、昔、今からおよそ千年もの昔のこと。
京の都に、清原朝臣正高(きよはらのあそんまさたか)という横笛(よこぶえ)の名人がおった。
正高は、笛の音色(ねいろ)を、清く澄ませるのも、甘く響かせるのも、野太(のぶと)く吠(ほ)えさせるのも、意のままにあやつれたと。調(しら)べも、あるときは、奥山(おくやま)の木の葉(このは)、草の上を渡る微風(そよかぜ)のようにここちよく、あるときは、桜吹雪(さくらふぶき)とたわむれる風のように妖(あや)しく、またあるときは、大竹(おおだけ)をしならせ木々を唸(うな)らせる嵐のように荒々(あらあら)しく終わったりして、その音色と調べは、聴く者の心を、やさしくしたり、くるおしくしたり、せつないまでに懐かしくしたそうな。
正高は、ただ己れの心のままに吹いているだけだったが、夜ともなれば正高の屋敷のあたりに聴く人が集まって来て、「横笛(ふえ)の正高」という呼び名は日毎(ひごと)に高まった。
宮中(きゅうちゅう)にも知れたと。
正高は、帝(みかど)に呼ばれて、宮中の宴(うたげ)の席で笛を吹くようになった。
ある日のこと、宮中勤めをするようになった正高が笛ならしをしていると、どこからともなく、その笛に合わせるように美しい琴(こと)の音(ね)が流れてきた。小松女院(こまつにょいん)という姫の奏(かな)でる琴だったと。
その日から、宮中では、笛と琴の音(おと)あわせが毎日のように聞かれるようになった。
いつしか二人は互に慕(した)い合う仲になったと。
ところが、これに気づかれた帝は、大層お怒(いか)りになられた。笛吹きの正高と、帝と血のつながりのある姫とでは、身分が違い過ぎるというのであった。
正高は豊後(ぶんご)の国、姫は因幡(いなば)の国へと、離ればなれに流されてしまったそうな。
幾年月(いくとしつき)かが過ぎた。
どうしても正高のことが忘れられない姫は、ある夜、ひそかに豊後の国へと旅立った。十一人の侍女(じじょ)とともに、険(けわ)しい山を越え、海を渡るその旅は、命をかけての旅であったと。
豊後の国、玖珠(くす)という所にたどり着いたのは、因幡を出てから百日余りもたった頃だった。みなみな身も心も疲れ果てて三日月の滝のほとりで休んでいた。するとそこへ、一人の年老いた木こりが通りかかった。侍女の一人が、
「あのう、もし…」
と、声をかけた。
「このあたりに、清原正高様というお方(かた)が住んでいると聞いて参ったのですが…」
「ああ、横笛(ふえ)の正高様かね。正高様なら、五、六年前からこん里に住んでおいでじゃが、今じゃ、里のあるじ、兼久様(かねひささま)の娘婿(むすめむこ)になっちょいなさるぞ」
これを聞いた姫をはじめ侍女たちは、言葉もなくたたずんだ。
命がけでやって来て、今、生きる望みが絶たれた姫は、よろよろと三日月の滝のふちに近寄ると、手を合わせて身を躍らせた。あとを追って、十一人の侍女たちも次々と滝壷へ身を投げた。誰も一声(ひとこえ)も発(はっ)しなかった。
年老いた木こりは、あまりの出来事に、棒立ちのまま、息を呑んで見つめていただけだった。
正高は、この木こりから知らされた。
異変を知らせるジャンを鳴らさせ、村人達といきせききって三日月の滝へ行ったが、姫も侍女も、誰一人救かった者はいなかったと。
正高は姫とその侍女たちの霊を慰めるために山香(やまが)に寺を建てた。そして横笛(ふえ)を吹いた。
正高の耳には姫の琴の音(ね)が聴こえていた。その琴の音に合わせるように、澄んだ音で、甘く響く音で、野太く吠える音で吹いた。ここちよい調べから妖しい調べへ、突然変調して荒々しく吹いた。 村人たちは、その音色と調べに、正高と小松姫との、やさしく、くるおしく、せつない物語りを、まるで絵巻物(えまきもの)を見ているかのように感じて、涙を流した。
正高の建てたその寺は、正高寺(しょうこうじ)と呼ばれ、今も残っている。
三日月の滝のほとりには、嵐山神社(あらしやまじんじゃ)が建てられて、正高の横笛が大切に保存されているそうな。
だいぶストーリーが抜けてますね、もう少し詳しく書いた方がいいと思いますよ。 身籠った事も抜けてますし、耶馬溪雲八幡神社、小国の鏡ケ池、下城の大銀杏、浮羽の弓立神社も抜けてます。 1100年続く御霊を慰める祭り、滝の市…… も抜けてます。 何より正高公の父親が小倉百人一首の歌人清原元輔であったこと、妹が清少納言であったこともです。 残念( 50代 / 男性 )
昔話かもしれないけれど、切ない気分です。( 50代 / 女性 )
最近三日月の滝にご縁が、あって、本当に、あった話であること知りました。とても、悲しい話だと思いました。天国で、会えてると、良いなぁと、心の底から、思いました。南大師遍照金剛( 50代 / 女性 )
南部と秋田の国境(くにざかい)に、たった二十軒(けん)ばかりの淋(さび)しい村がある。この村から秋田の方へ超(こ)えて行く峠(とうげ)の上に、狼(おおかみ)の形をした石が六個(こ)並(なら)んでいる。
「三日月の滝」のみんなの声
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