― 長崎県 ―
語り 井上 瑤
再話 末松 祐一
整理・加筆 六渡 邦昭
むかし、長崎市(ながさきし)の立山(たてやま)あたりは、岩屋豪(いわやごう)といってお諏訪(すわ)さまの丘から続いたこんもり繁った森であったと。
この森の中に、治郎兵衛狐(じろべいぎつね)という化け上手の狐がすんでいたと。
ときどき長崎奉行所(ながさきぶぎょうじょ)の役人に化けて、新地(しんち)にまでも出かけてきて、アチャさんと呼ばれている唐(から)の人達をおどろかせたりしていたと。
あるときのこと、寺町(てらまち)の皓台寺(こうだいじ)の和尚(おしょう)さまがお供(とも)の小僧(こぞう)さんを一人連れて、にぎやかな浜町(はまちょう)を通っていたと。
すると向こうの鍛冶屋町(かじやまち)の方から、ものものしい殿さまの行列がやって来た。和尚さんが、
「何さまだろう」
と、先頭の足軽が着ているハッピの紋(もん)をよく見ると「だき茗荷(みょうが)」の絵柄(えがら)だ。
その頃は、佐賀(さが)の鍋島(なべしま)の殿さんや、福岡(ふくおか)の黒田の殿さんが家来をひきつれてきて、長崎の港を護(まも)り、出入りする唐の船や、オランダの船を見張っていたものだと。
「だき茗荷」の紋は鍋島の紋だ。しかし、鍋島の殿さんが来るというおふれはでていない。和尚さん、
「ははーん」
と思った。
道を歩いていた者が皆々土下座(どげざ)する間を行列は通って行く。和尚さまは、道端に突っ立ったまま、ひとり頭をピョコンを上げていたと。お供の小僧さんがその袖(そで)を引いてもいっこう構わず、ちょうど殿さんのおカゴが目の前を通ったとき、小さな声で、
「治郎兵衛、治郎兵衛」
と呼びかけた。しかし、おカゴの中の殿さんは、わき目もしない。そのまま行列は行き過ぎてしまったと。
「はて、ありゃ、ほんとの鍋島さんの行列じゃったかもしれん。こりゃ、困ったことをしてしもうた」
和尚さまは、お寺に帰っても、今におとがめの役人が来るのではないかと青々ビクビクしておったと。
そしたらその夜、和尚さまの部屋にヒョッコリ治郎兵衛狐がやって来た。
「昼間は、あんげによう化けとったのに、どうしてわかったとですか」
これを聞いて和尚さま、ホッと胸をなでおろし、
「なにカゴの中に、フトか尻っぽが見えた」
と、でたらめを言うた。狐は頭をかきかき、
「どうしたら尻っぽの出んごとになりまっしょか」
と、訊くので、
「俺(おり)が持っとる七面(しちめん)ぐりばかぶればよかばってんのう」
と、もっともらしく言うたった。
「その七面ぐりば、ちょっと見せてもらえまっせんか」
「お前(わい)が持っとる化け玉を見せたら、見せてもいい」
狐は、ふところの中から水晶(すいしょう)の化け玉を取り出した。和尚さん、フムフムと手に取って見て、納戸(なんど)の中から、古ぼけた衣を持ってきた。狐が、
「その七面ぐりば貸してもらえまっせんか」
と言うので、
「いっときならよかタイ。かわりに化け玉はあずかっとく」
と言うて、化け玉をとりあげたと。
治郎兵衛狐は、次の朝その古衣(ふるごろも)をかぶってお寺の石段を下りていった。
そしたら、明けの鐘(かね)をつきにでた寺男がそれを見つけて、
「やぁ、朝っぱらから、狐が衣かぶって行くぞう」
と大声はりあげた。
顔洗いに外に出ていた近所の人たちが、石を投げたり、棒切れを持って追いかけるので治郎兵衛狐は、
「オラ、見えねえはずだ、見えねえはずだ」
と言い、逃げまどったと。
さすがの治郎兵衛狐も、皓台寺の和尚さまにはかなわなかったというお話。
今でも立山の登り道の途中にある、小さな祠(ほこら)には、治郎兵衛狐をまつってあるそうな。
そりぎり。
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「皓台寺の和尚さまと狐」のみんなの声
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