― 熊本県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、あるところに欲深(よくふか)でそのうえ嫉妬(しっと)深い婆(ばあ)さんがおったと。
村の人達はみんな仏(ほとけ)さんを拝(おが)んでいたが、この婆さんだけは信心(しんじん)のしの字もなかったと。
村の者(もん)がかわるがわる仏の道を説(と)いても、
「なに空(そら)ごと言うか。仏さんが飯(めし)食わしてくれるか」
ちゅうあんばいで、とんと耳をかさん。
あるとき、婆さんのご亭主(ごていしゅ)どんが病気になった。小知恵(こぢえ)の効(き)く者が、このときとばかりに婆さんを口説(くど)いたと。
「仏さんにすがんなさい。爺(じい)さんを助けたいと思うんなら、これに勝(まさ)る薬(くすり)はねえ」
返ってきた言葉が一言(ひとこと)、
「ふん」
そうこうするうち、ご亭主の爺さん、死んでしもうた。
なんぼ信心のない婆さんでも、七日(なぬか)、七日のおつとめだけはしておったと。
小知恵の効く者が知恵をしぼって、また口説きに行った。
「婆さん、あんたに話をしたもんかどうか迷(まよ)っとるんじゃが」
「なんじゃ」
「うん、私しゃ、このごろ毎晩(まいばん)のように見る夢があるんじゃ。ここの爺さんな、まあだ三途(さんず)の川を超(こ)えとらっさん」
「そりゃ、どうしてだ」
「それがあんた、爺さんが『うちん婆さんにゃ、言うてくれるな』ちゅうて、言うとるもんで、どうしようか思うてなあ」
と、思わせぶりに言うたら、婆さん目をむいて、
「なに、口止めされただと。何があるんじゃ、早よ言え」
と、話に乗(の)ってきた。
「やっぱりあんたに言わんわけにゃあ、いかんかなあ。あんな、三途の川のこっち岸(ぎし)に茶小屋(ちゃごや)があってなあ……そこの手伝(てつだ)いをしよるって言うとった」
「何で茶屋の手伝いをしとるんじゃろ」
「それが、妙(みょう)なこと言うたな。何でも、茶小屋に婆さんが一人おって、婆さん言うても、まあだ五十そこそこのいい女ごで」
ここまで聞いた婆さん、
「あん糞(くそ)爺いが。生きとるときから浮気(うわき)しとる風だったが、死んでもあの世へ行く工面(くめん)もせんで、三途の川の女ごと惚(ほ)れごとしてけつかるか。おれが毎日線香(せんこう)絶(た)やさずおつとめしとるというのに、えー糞っ。おれが行ける所なら、行って掴(つか)み殺してやるんだが。えー糞。いまいましい」
ちゅうて、えらい剣幕(けんまく)だ。
小知恵の効く者は、ここぞとばかり、
「まあなんだ、婆さんが怒(おこ)るのも無理ないわな。けど、ええ思案(しあん)があるぞ。
あんたが寺に詣(もう)て拝(おが)むんじゃ。そうしたら爺さん、三途の川の茶小屋におろうとしてもおられん。おられるもんじゃねえ。
えらい腹が立つなら信心を始めにゃ。そうして爺さんをあの世へ追いやんなさい。このままじゃ爺さん浮(う)かばれん。爺さん、浮かばれんとは知らずに喜んどらす。おれも夢見(ゆめみ)が悪い。どうじゃろな婆さん、ここは仏さんにすがってみては」
と、すすめた。
そしたら婆さん、
「仏さんどころでないわ」
と、こう言うたと。
そるばっかい。
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これは、ずうっと昔、キリシタンを厳(きび)しく取り締(し)まった頃の話だ。陸前(りくぜん)の国、今の宮城県の鹿島(かしま)という町に隠れキリシタンの藤田丹後という武士がおったと。
「仏も悋気にゃ勝てん」のみんなの声
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