人を見掛けだけで判断するなって事やな。助かった様で何より
― 高知県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、ある冬の寒い日に、破(やぶ)れ衣(ごろも)を着たひとりの坊(ぼう)さんが托鉢(たくはつ)に歩いていた。
坊さんは、立派(りっぱ)な門のある家の前に立ち、お経を唱えた。
家の中からは機(はた)を織(お)る音がキーパタン、キーパタンと聞こえてきている。
この家(や)の奥方(おくがた)が二人の機織(はたお)り娘を使って、機を織らせているところだったと。
奥方が、障子(しょうじ)を少し開け、門のところを見ると、いかにもみすぼらしい托鉢坊主(たくはつぼうず)だ。
奥方は音を立てて障子を開き、
「ちょいと、うるさいよ。この娘たちの気が散(ち)るじゃないの。どこか、他の家へ行ってやってちょうだい」
というた。
坊さんが、門口(かどぐち)を立ち去ろうとして頭を下げたら、ちょうど足元を一匹の蛇(へび)が横切ろうとしていた。
坊さんは、大きな声で、
「こりゃァ、だれのじゃろう。ここへ帯締(おびじ)めが落ちとるが」
というた。
挿絵:福本隆男
そしたら、家の奥方が、
「それは私のだよ、拾っていったらしょうちしないよ」
というて、家から走り出てきた。
お坊さんは、持っていた杖(つえ)で、蛇をはね飛ばした。そしたら、その蛇が奥方の首にキリキリッと巻(ま)きついて締(し)めあげたと。
奥方は泣きながら
「お坊さん、どうぞ助けて下さい」
というて頼んだと。お坊さんは、
「七年、四国を廻って仏さんに頼みなさい。そうしたら解(と)いてやろう」
というた。
その蛇は、カマで切ろうとしても、焼き火箸(ひばし)を当てても、何してもはずれなかったと。
それで、その家の奥方は七年、四国を廻って、ようやく蛇をほどいてもらったと。
この奥方が四国お遍路(へんろ)のはじまりだそうな。
挿絵:福本隆男
このときのお坊さんは、弘法大師(こうぼうだいし)さんだったと。
むかしまっこう猿(さる)まっこう 猿のつびゃぁ赤い。
人を見掛けだけで判断するなって事やな。助かった様で何より
托鉢を断られただけでこの仕打ち。名僧高僧と( 30代 / 男性 )
むかし、加藤清正(かとうきよまさ)が戦で朝鮮(ちょうせん)に行ったときのこと。 陸上では負けしらずの戦いぶりであったが、海上では日本の水軍が負けた。海上封鎖(かいじょうふうさ)されたので、日本からの補給(ほきゅう)がなくなったと。
とんと昔あったっつうわ。 昔、あるところに、家が隣(とな)りあってあったと。一軒(けん)の家は夫婦喧嘩(ふうふげんか)が絶(た)えない家で、もう一軒は夫婦喧嘩の無い家だったと。
昔、あるところに、やることなすことどこかずれてしまう小僧がおったと。 ある日のこと、主人が、 「今日は山に行って木を伐って来い」 といいつけて、焼き飯を持たせてやったと。
「弘法機」のみんなの声
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