― 高知県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、たぶん江戸時代の頃じゃと思います。
ここは高知県南国市(なんごくし)篠原(しのはら)ですが、この土地に、渋谷権右衛門(しぶやごんうえもん)という郷士(ごうし)がおりましたそうな。
その渋谷の家に、お春(はる)という娘が女中奉公をしておりました。そりゃ気立てのよい優しい娘で、その上なかなかの器量よしでもあったそうです。一家のもんからは可愛がられ、かげひなたのう働きよりましたそうな。 ところが「禍福(かふく)は背中あわせ」の諺(ことわざ)どおり、お春はそのすぐれた器量のために、かえってふしあわせを背負う破目になってしまいました。
主人の弟に藤四郎(とうしろう)という若者がおりました。これがすっかりお春に参(まい)ってしもうて、思いのたけを打ち明けて言い寄って来たそうです。
ところがお春には、婚約したイトコがおりました。ほんで藤四郎は片思いになったわけです。
さあ、恋の怨みというもんは、昔も今も変らず恐ろしいもの―俗にいう、可愛さあまって憎さが百倍です。やきもちのために、藤四郎の心は狂うてしもうたじゃないかと思います。
ある日のこと、お春は渋谷家に伝わる家宝の皿を洗うておりました。洗いかけてちょっと用事を思い出したので、そこをはずしました。
そのすきに藤四郎が一枚だけ失敬して、どっかへ隠してしもうたんです。
お春はひどく驚きました。
そりゃそうでしょう。大事な家宝の皿を一枚無(の)うしたもんですきにね。
これを聞いた主人の渋谷権右衛門も、それこそ烈火のような怒りかたでした。
夜昼ついでお春をセッカンし、むごいことにとうとう責め殺してしまいました。
さあ、それからです。毎晩、あやしいことが起りだしたのは。
例(れい)の草木もねむる丑満(うしみつ)刻(どき)。どこからとも無う、若い女の、一枚、二枚、三枚・・・と皿を数える声が聞こえてくる。
そうしておしまいには、一枚足りない皿を哀しんで、しぼり出すような泣き声になる。その声はまるで総身に冷水をあびせかけられるような、恐ろしさじゃったといいます。
ところで、その時刻になると、藤四郎は高い熱を出して、呻(うめ)き苦しみ、気ちがいのように転(ころ)び廻ったそうです。
そうして、とうとうお春の殺された場所で、もだえ死にしよりました。そこでは、お春の血染めの足型が、毎朝なんぼふいても板縁(いたえん)についちょるそうです。
とうとう権右衛門もおそろしうなって、屋敷の西の方に祠(ほこら)を建ててお春の霊をまつりました。
これが今に残る「春喜(はるき)さま」です。
むかしまっこう、猿まっこう。
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「血染めの足型」のみんなの声
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