― 山形県 ―
語り 井上 瑤
再話 野村 敬子
整理・加筆 六渡 邦昭
むがし、むがし。
お大師(だいし)さんじゃ(では)、うんと貧乏(びんぼう)でありあんしたど。ぞよぞよど子がいで、なんと十二人の子持ちでしたどな。しだもんで、なんとも育てきれないもんでしたど。
秋になって、収穫祭(しゅうかくさい)が来ても、刈上(かりあ)げの餅(もち)搗(つ)ぐことも出来ね。
子供たちぁ腹減らしているもんで、そんで吹雪(ふぶき)の吹くよだ頃、こっそりど、人の物ば盗(ぬす)みに出がげでな、畑の大根ば抜いて来たなだど。小豆(あずき)ど米(こめ)も盗んで来だなだど。
しだら、天の神様、吹雪にして、うんと雪ば降らせでな、雪道のお大師さんの歩いだ足跡(あしあと)ば隠(かく)してくださったなだど。
その頃になるというど、今もって、大師こ荒れ(だいしこあれ)言うて、びゅうびゅう吹雪く日あるなだけど。
そのお大師さん、十二人の子ども達さ、うんと薄い小豆粥(あずきがゆ)を作って、食べさせだなだど。それが十一月三日ですと。次には少し金(かね)が入って、十二日にはぼだ餅が作れるくらいになったなだど。次にはようやく本当の餅ば作って、子供達に食わせる事が出来たなだど。神様が守っていだなだべな。
んださげ、十一月三日は、今も小豆粥、十二日にはぼだ餅、二十三日は餅を搗いて大師講どいうてお祭りするなだど。
どんびんすかんこ、ねっけど。
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むかし、甲斐(かい)の国、今の山梨(やまなし)県のある村に一人の旅人がやって来た。そして、 「村の衆(しゅう)、わしは医者だけんど、この村に住まわせてくれんかー」 というた。
「大師講のむがし」のみんなの声
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