― 富山県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、むかし、ある大きな寺に和尚(おしょう)さんと小僧(こぞう)さんたちが住んでおったと。
寺の境内(けいだい)に大きな松の木があって、毎年季節になると鶴(つる)が飛んで来ては、その枝に巣をかけていたと。
和尚さんは鶴を大事に大事にしていたと。
ある年、その鶴が卵を生んだ。和尚さんの喜びは一入(ひとしお)だったと。
檀家(だんか)廻(まわ)りをしていてもその話ばかりするので、いつしか鶴和尚(つるおしょう)と呼ばれるようになった。
あけても暮れても「鶴、鶴」いうので、小僧さんたちは面白くない。
ある日、和尚さんが檀家に行った留守(るす)に、小僧さんたちはみんなで鶴の卵をとったと。
母鶴は悲しがって、和尚さんの行った檀家の方へ飛んで行ったと。そしてその檀家の屋根にとまって、けたたましく啼(な)いた。
和尚さんはその妙(みょう)な鶴の啼き声を聞いて、これは寺で何かあったのにちがいない、と息せききって寺へかけ戻ったと。
帰ってみると、小僧さんたちが楽しそうに鍋(なべ)で湯を沸(わ)かしている。
「これは何の湯か」
と訊(き)くと、小僧さんたちも隠(かく)しきれなくなって鶴の卵でゆで卵を作ろうとしていたと白状した。 「めでたい鶴の卵を、とんでもないことをするやつらだ」
としかりつけて、卵を元の巣の中へ返してやったと。
それから何日かして、また、和尚さんが檀家に行った留守に、小僧さんたちは鶴の巣をおそって卵をとったと。
母鶴は悲しがって、前と同じように和尚さんが行っている先の檀家の屋根にとまって、けたたましく啼いた。和尚さんは、
「こりゃ、また小僧どもが鶴の卵をとったのではなかろうか」
というて、寺へ走って戻ったと。
帰ってみると、やっぱり小僧さんたちの仕業(しわざ)で、鍋の中で鶴の卵はクタクタ煮えようとしている。
和尚さんはカンカンに怒って、
「あんなにいつもお前たちに言うとんがに、まだわからんかい」
というて、卵をとり出して、鶴の巣へ戻してやったと。 二度までこんなことがあったからか、まもなくそんな時分(じぶん)でもないのに、鶴は飛び立ってどこかへいってしもうたと。
和尚さんは悲しんで悲しんで怒る力もなくなったがやと。
鶴は翌年(よくとし)も、その翌年も戻って来なかった。
寺に鶴が来なくなって早や三年目の冬がやって来た。
今では小僧さんたちも自分たちのやったことをすっかり悔(く)いていたと。が鶴はもう戻っては来ないだろうと、みんながあきらめていたと。
ところがある日のこと、空を見ていた小僧さんが、突然(とつぜん)、
「き、き、き、きた。きたきたきた。和尚さま、和尚さま、鶴が、鶴が」
と叫んだ。 和尚さんが、縁側(えんがわ)からタビハダシで転がるように庭に出てみると、おう、確かにあの鶴だ。
やせおとろえて、骨と皮ばかりになった鶴が松の木の枝に着くなり、和尚さんの前へ一本の木の枝をポトリと落とした。それは天竺(てんじく)の国にだけしかない栴檀好物(せんだんこうぶつ)という香りの高い木の枝だった。
和尚さんは、鶴がこんな姿になってまでその国へ行ってくわえて来たのかと思うと涙ながらにその枝をおし戴(いただ)いたと。
栴檀(せんだん)の枝は寺の宝になったと。
鶴はその後(のち)、季節になると毎年やって来ては松の木に巣をつくり、卵をかえしてかわいらしい子鶴を育てたと。
語っても候(そうろう) 語らんでも候
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むかし、加藤清正(かとうきよまさ)が戦で朝鮮(ちょうせん)に行ったときのこと。 陸上では負けしらずの戦いぶりであったが、海上では日本の水軍が負けた。海上封鎖(かいじょうふうさ)されたので、日本からの補給(ほきゅう)がなくなったと。
「鶴と和尚」のみんなの声
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