クロのプライド、闘牛としての。ライバル、熊に対する正当に闘いたかったという思い。空の上で、思う存分闘ってると思う。忘れられない昔話です。( 50代 / 女性 )
― 岩手県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、あるところにひとりの男がおって闘牛(とうぎゅう)を飼(か)っていたと。
黒牛(くろべこ)の、すばらしい闘牛だと。角(つの)は人の腕(うで)よりも太く、歩く姿はまるで黒い大岩(おおいわ)が動き出したようだ。角あわせをしても、一度も負けたことがない。
名前をクロとつけて自慢の種だったと。
ある年の角あわせの日、クロに組み合わせの知らせが来なかったと。
男は、クロをひいて会場へ行った。世話役(せわやく)さんに、
「俺(おれ)とこに、出てくれという知らせが無いのはどういうこった」
と聞いたら、
「お前(め)とこのクロはあんまし強いんで、誰も角あわせしたくねえちゅんだ」
という。
しかたなく男はクロをひいて帰ったと。
牛小屋(うしごや)にいても、闘(たたか)う相手のいないクロは力を持て余しているふうだ。
「すまねぇなクロや。いまにきっとお前の相手になるような牛(べこ)っこを見つけてやっから」
と、毎日いいきかせていたと。
ところがある朝、男が牛小屋に行ってみると、クロの姿が見えない。
あちこち探してみたが見つからない。探しあぐねて牛小屋で待っていたら、しばらくしてクロが帰って来た。
クロはからだじゅう汗にまみれ、目もどんよりとして、今までに見たこともないような疲れ方をしている。
クロは、小屋に入ると、すぐに横になったと。
次の朝、男が起きたときにもクロはいなかった。戻って来たときには、昨日と同じように疲れきって、ゴロンと横になるのだと。
その次の朝、男はまだ暗いうちに起きてクロが牛小屋を抜け出して行くのを見張り、そっとあとをつけたと。
クロは山の奥へズンズン分け入って行く。いくがいくがいくと、林に囲(かこ)まれた広場のような草地(くさち)に出た。立ち止ったクロのからだに力がみなぎって、何かに合図するかのように低くないたと。
すると、向いの林の中から、大きな熊がのそりと現(あら)われた。
クロと熊はしばらくにらみ合った。
挿絵:福本隆男
先にクロが仕掛けた。頭を下げ、激しい勢いで突っかかった。
熊は仁王立(におうだ)ちになって、前足でクロの頭を叩(たた)きつけたと。
クロはたくみに角で受け止めた。二度三度互いに押しあったが、やがて、そのままの姿勢(しせい)で、どちらも動かなくなった。クロは下から、熊は上から、血走った目でにらみあったまま時が経っていた。
突然、二頭は、サッと左右に別れた。熊はのっそりとからだを振り向けると、林の向こうの繁(しげ)みに入って行き、クロもゆっくり向きを変えて、帰りはじめた。
男は見え隠れにそのあとを追いながら、どうにかしてクロを勝たせたいと思案(しあん)したと。
真夜中に、まだクロが眠むっているうちに角にべっとりと油をぬりつけたと。
次の朝早く、また、クロは出掛けたと。男はあとをつけた。
昨日の広場にはすでに熊が来ていて、クロが広場に着いたとたんに、突進(とっしん)してきて襲(おそ)いかかった。
クロは首を振って、下から熊をはねあげようとした。これを押えつけようとした熊の前足が、油でぬらりと滑り、角は熊の脇腹(わきばら)に深く突きささった。
たちまち熊ははねあげられ、落ちてくるところを、もう一度角を突き立てられて、死んだと。
男は踊りあがって喜び、クロのところへ走り寄った。
ところが、クロはうつろに遠い山の空を見ているだけだった。
牛小屋に帰ったクロは、それから何も食(く)わなくなり、次第にやせほそっていったと。
そうして、骨と皮ばかりになった頃、牛小屋から姿を消し、あの山奥の広場の熊の死骸(しがい)に寄り添って息絶えたと。
男は、クロの角に油を塗ったことを悔(く)いた。
そして、クロと熊の亡きがらをていねいに葬(ほうむ)り、そこに社(やしろ)を建てて供養(くよう)したと。
どんと はらい。
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