おさよは恋人思いだなと思いました。。。。
― 石川県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、加賀(かが)の国(くに)、今の石川県の琴ヶ浜(ことがはま)の近くの港町(みなとまち)に、おさよという娘が住んでいたと。
おさよは貧しいけれど、心の優しいよく働く娘だったと。
ある日、おさよは浜辺で重蔵(じゅうぞう)という若者と知り合った。重蔵は船乗り。真っ黒にやけたたくましい体つきの反面(はんめん)、どことなくやさしさのただよう若者だったと。
二人は忙しい間(ま)をぬっては、いろいろなことを語り合った。心踊る日を重ねるうちに、いつしか二人は末(すえ)を誓い合う仲になったと。
好事魔(こうずま)が多し、それから少し経った頃、急に重蔵は遠い北の海へ行くことになった。
「三月(みつき)もすれば戻って来る。そうしたら一緒になろう」
重蔵はそう言い残し、船に乗った。
おさよにとっては、長い長い三月が経った。
が、重蔵はまだ帰らない。さらにひと月たち、ふた月たち、とうとう半年が過ぎた。重蔵からは何の音沙汰(おとさた)も無かったと。
「重蔵さん、どこにいるの。早く帰って来て」
おさよは、今日こそは、今日こそは、とひたすら待ち続けた。
「おい聞いたか、重蔵の乗った船が暴風雨(しけ)にあって沈んだらしいぞ」
「ああ、風待ちしとった北前船の船乗りから、おれも聞いた」
「何でも三月以上も前のことらしい」
せまい港町だ、こんな噂(うわさ)がまたたく間に拡(ひろ)がった。
おさよは信じなかった。毎日浜に出ては、海に向って重蔵の名を呼び続けた。
雨の日も、風の日も、来る日も来る日も浜辺に立つおさよの姿に、村人たちも胸がしめつけられるような思いがして、もしや重蔵の乗った船が見えはしないか、と海を見るのだった。
それからどれくらい経った頃だろう。
おさよの様子が、どことなくおかしくなった。着物が着くずれても構わなくなり、ぶつぶつと独(ひと)り言(ごと)を言いながら歩く。
そのうち、色の黒いたくましい若者を見ると、
「あぁ、重蔵さんだァ」
と、にっこり微笑(ほほえ)んで腕(うで)をからませていく。
男がびっくりして、腕を振りほどくと、まじまじとその男を見て、
「ちがう、あんたなんか重蔵さんじゃない」
といって後退(あとずさ)る。なんともうす気味悪くなった。
あわれにも、重蔵恋しさのあまり、おさよは気が狂うたと。
そうして冬の寒い朝のこと、浜辺に立って海を見ていたおさよは、
「ああっ、重蔵さんだ」
といって、冷たい海の中に入って行った。
人々は、幸薄(さちうす)いおさよを哀(あわれ)んで、村の小高い丘に祠(ほこら)を建ててやったと。
ところがそれからというもの、浜辺を歩くと、キュッ、キュッと妙な音がするようになった。まるで人がすすり泣いているかのようなこの音に、いつしか村人たちはおさよの悲しい生涯(しょうがい)を重ね合わせて、ここを、「泣き砂の浜」と呼ぶようになり、今でも、その昔を偲(しの)んで語っているそうな。
それきりちょうのなんば味噌 ぺろっとなめたら辛かった。
おさよは恋人思いだなと思いました。。。。
昔、あるところの原っぱに、性悪(しょうわる)で化け上手の狐(きつね)がおったと。通る人を坊主頭にするので、村の人たちはおっかながって、誰もその原っぱを通らなくなった。不便(ふべん)でしょうがないのだと。
“手妻使い”という言葉、識っています?今ではめったに聞かれなくなりましたわね。相当のご年配の方くらいかしら、使うのは。手品師のことよ。近頃はマジシャンって言うみたいだけれど。
「泣き砂の浜」のみんなの声
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