― 和歌山県 ―
語り 平辻 朝子
再話 和田 寛
再々話 六渡 邦昭
むかし、紀伊の国(きいのくに)、今の和歌山県の岩田(いわた)というところに大分限者(おおぶげんしゃ)がおったと。
ある年の夏のこと。
大分限者の使用人の一人が、馬に草を食わせようと池の辺(ほとり)にやってきて、水際(みずぎわ)の木に手綱(たづな)をつないでおいたと。
ところが、この池にはゴウライボーシが棲(す)んでおった。ゴウライボーシとは河童(かっぱ)のことだ。この地方では河童のことをこう呼んでいる。これが水の中から馬を眺(なが)めているうちに、なんとしても馬の尻こ玉(しりこだま)を抜いて食いたくなったと。
河童の腕は伸縮自在(しんしゅくじざい)。腕を長ぁく伸ばしたり、短かく縮めたりすることができる。
で、水の中から腕だけ長ぁく伸ばして、手綱をそろりそろり引きこんだ。
馬が引かれるままに歩いてきて、もう少しで水に落ちるというとき、足をふんばって首を振った。
そしたら、手綱に引かれてゴウライボーシが水から浮き上がった。馬はびっくりして躍(おど)り上がり、一目散(いちもくさん)に駆けだしたと。
ゴウライボーシは馬に引きずられて行ったと。
手綱が手にからんでどうしてもはずせないゴウライボーシは転(ころ)げたまま引きずられて、行く手(ゆくて)のでっぱりやくぼみにゴツン、ドスンと打ちつけられて困りきっとった。
「あいた、痛(いた)たぁ。
こら馬、馬、止まれ、止まれぇっ」
というけれども、馬は止まらん。なおも駆けていく。
「人に見つかったらおおごとだ。こらぁ、姿を変えにゃあ」
ゴウライボーシは馬の手綱にひっかかったままに、必死になって人に見つからない姿に変化(へんげ)したと。
馬は駆けて駆けて、大分限者の屋敷に帰り着いた。ヒヒン、ブフンと馬があまりに騒(さわ)ぐので、使用人たちが不思議に思って馬小屋へ行ってみると、馬の手綱の端(はし)に一厘銭(いちりんせん)がくっついてある。馬はその一厘銭を恐がっているふうだ。
「ひょっとすると、これは狐か狸の化けたものかもしれんぞ」
「ようし、そんなら」
というて、使用人たちは青松葉を燻(いぶ)して、一厘銭をその中に放りこんだ。
ゴウライボーシは、しばらくは煙(けむ)たいのを我慢(がまん)していたが、そのうちに辛棒(しんぼう)しきれんようになって、とうとう正体を現し、
「どうか、命ばかりはお助け下さい」
と、涙を流して頼んだと。
使用人たちは、ゴウライボーシを分限者のところへ連れて行った。
話を聞いた分限者は、ゴウライボーシを村はずれの川まで連れて行き、そばにある一本松を指差して、こう言うた。
「よいかゴウライボーシ。おまえは、この松の木の生(は)えている間は決して岩田の土地に来てはならんぞ」
「来ません、来ません。約束は必ず守りますう」
と、泣きながら繰り返し(くりかえし)言うので、川へ放してやったと。
松の木は、その後長い年月青葉をつけ続けていたが、ある年ついに枯れてしまった。
それで、村人たちは子供たちに、
「一本松が枯れたから、ゴウライボーシが来るかもしれんぞ。一人で川へ水遊びに行ったらいかん」
と、言うようになったんやいて。
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昔あったけド。あるどこの兄マ、妙法寺(みょうほうじ)さんのどご通て行たバ、七曲さんのどごがら、狐、チョコチョコと出で来で、松葉拾(ひろ)うて頭さチョンと乗せてで、あっちキョロ、こっちキョロ見っでモノ。
「一厘銭になった河童」のみんなの声
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