― 岩手県 ―
語り 平辻 朝子
再話 六渡 邦昭
むかし、ある村のはずれに大きな渕(ふち)があって、たくさんの魚が棲(す)んでおったと。
あるとき、村の若者たちが集まって毒流しをしようと相談した。
“毒流し”というのは、流れに毒を投げ入れ、一度にたくさんの魚を獲(と)る方法のことだが、その毒は、山椒(さんしょう)の皮を細かく切り、シキミやタデなどの実を一緒にすりつぶして灰(あく)を混ぜ合わせると出来上がる。
次の朝、若者たちは淵のそばで車座(くるまざ)になって毒作りをはじめた。
そろそろ昼になろうとする頃、そこへ一人の藍色(あいいろ)の衣を着た坊さまがあらわれ、
「それは魚を獲る毒じゃな。魚を釣ってもよいが、毒はいかん。毒を使ったら親魚だけでなく小魚も一匹残らずしんでしまう。小魚など獲っても小さくて食えはしまい。そんな罪深いことはしなさるな」
と言うた。若者の一人が、
「坊さま、心配いらん。魚を全部獲るわけではないわ。それより、もう昼どきだからこれでも食べて行きなされ」
と、ダンゴを差し出した。
挿絵:福本隆男
坊さまはダンゴを受け取ると、パクッと飲み下した。すすめられるままに、またひとつ、またひとつと呑みこむうちにダンゴは無くなった。
「馳走(ちそう)になった。しかし、それは止めなされよ」
坊さまは、青光りする目で若者たちを見つめると「よいな」と念押しをして、どこかへ立ち去って行った。
若者たちが出鼻(でばな)をくじかれてためらっていたら、誰かが、
「何を言うだ。暗いうちから準備してきたっちゅうに、今更(いまさら)止められっか」
といい、
「そうだ」「そうだ」
という者がいて、皆で毒を淵に投げ入れたと。
ほどなく、淵のあちこちで魚が浮いてきた。大きいのもいれば小さいのもいる。若者たちは夢中になって魚を網(あみ)で拾いあげた。面白(おもしろ)いほど獲れた。さあ、もういいだろうと帰り支度(じたく)をはじめたら、若者のひとりが、
「もう一遍(いっぺん)、これが最後」
と言って、残りの毒を淵に投げ入れてしまった。仕方なく、皆は魚の浮いてくるのを待ったと。
しばらく淵の水がざわめいて波が立ったりしていたが、それがおさまると、大きな魚が浮き上がった。
「やあ、これは大きいな」
「まるで、魚の大将だ」
引き上げてみると、大人の背丈(せたけ)ほどもある、藍色の魚だった。
「この色、見覚えあるような……」
「魚の色なんか、どうだっていいさ」
あまりに大きくて珍しいから、皆で分けようということになり、魚の腹をさいた。
すると、腹の中から、ダンゴがこぼれ出た。
「こ、これは、昼間、旅の坊さまにあげたダンゴだぞ」
「すると、なにかぁ、この魚は、あの坊さまだってことか」
「すると、なにかぁ、あの坊さまは、この魚だったてことか」
若者たちはあまりの不気味さに一目散(いちもくさん)に村へ逃げ帰ったと。
それからというもの、毒流しで漁(りょう)をする者はいなくなったそうな。
どんとはらい。
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むかし、土佐(とさ)の窪川(くぼかわ)に万六という男がおった。地主の旦那(だんな)の家で働く作男(さくおとこ)だったが、お城(じょう)下から西では誰(だれ)ひとり知らぬ者がないほどのどくれであったと。
「坊さまに化けた魚」のみんなの声
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